滋賀県、かつての近江国から、全国へ商いに歩いた商人たちがいました。近江商人です。彼らの故郷には今も豪商の屋敷が残り、売り手よし、買い手よし、世間よしという「三方よし」の言葉は、現代の企業理念の中にも生きています。総合商社の伊藤忠商事は2020年にグループ企業理念を「三方よし」に改訂しました。なぜ遠く離れた土地で商いをする商人が信頼を得られたのか、そしてどんな企業がその系譜を受け継ぐのか。近江八幡市の公式情報と各社の公式沿革で確認できた範囲でたどります。

近江商人とは — 本店は近江、商いは他国で

近江八幡市の公式サイトによれば、近江商人とは近江で商いを行う商人ではなく、近江を本宅・本店とし、他国へ行商した商人の総称です。出身地ごとに高島商人、八幡商人、日野商人、湖東商人などと呼ばれ、活躍した場所や取り扱う商品には違いがありました。八幡商人は蚊帳や畳表、麻布製品などを扱い、いち早く江戸に出店し、蝦夷地(現在の北海道)の開発にも携わったと、国土交通省の地域観光資源データベースは伝えています。近江は京都と大阪に近く、東海道と中山道の通る土地でした。故郷に本店を置き、遠隔地に赴いて商いをするという形そのものが、近江商人の出発点です。

行商の仕組み — 持ち下り、下し荷と登せ荷

近江商人の商いは、天秤棒を担いで各地を回る行商から始まりました。上方や近江の産物を地方へ運ぶ荷は「下し荷」、地方の産物を仕入れて上方へ運ぶ荷は「登せ荷」と呼ばれ、往路と復路の両方で商いを成り立たせました。行商で成功すると、その地域に出店し、店同士で商品を回して効率よく運営しました。本店のある町は、各地から集まる情報の分析、営業方針の決定、社員教育を担う、いわば本社機能を持つ場所でした。伊藤忠商事の沿革にある「持ち下り」もこの行商の一形態で、商品を携帯して得意先を定期的に回る出張卸販売を指します。見本帳で注文を取り、商品は飛脚で宿まで送って販売したといいます。歩いて売る商いが、やがて出店網と情報網を持つ商社の原型になっていきました。

この仕組みを支えたのが、本店に集まる情報でした。各地に出た店や行商先からの報告が本店に集まり、本店は相場や需要の動きを分析して営業の方針を決め、店員への教育も行いました。近江八幡市の公式サイトは、本店が財務、情報、教育という3つの本社機能を持っていたと説明しています。遠く離れた土地で働く店員に任せながら、判断の基準と教育を本店が担う形は、現在の企業グループにおける本社と事業現場の役割分担にも通じるものがあります。天秤棒の行商は小規模な商いに見えますが、その裏側では、情報の集約と人づくりの仕組みがすでに動いていたのです。

三方よしと、もう2つの言葉

近江商人の理念として最も知られるのが「三方よし」です。売り手と買い手の合意だけではなく、社会的に正当な商いであること、行商先の経済に貢献することを求める考え方で、近江八幡市は「買い手よし、売り手よし、世間よしという三方よしの理念を商売の基本とした」と説明しています。ほかに「始末して気張る」、つまり今あるものを最大限に生かして努力すること、「隠徳善事」、人知れず社会のためになる行いをすることも大切にされました。社会貢献の具体例として、学校や道路、橋の建設への資金援助が挙げられています。品物を生産しない商人は江戸時代の身分制度では低い位置に置かれ、外から来た商人への疑念も根強い時代でした。正当な利益を求め、地域に尽くす姿勢は、他国で商いを続けるための信用そのものだったと考えられます。家訓の形で理念を残した商家も多く、江戸中期には複式簿記を確立させていたとも伝えられています。

伊藤忠商事と丸紅 — 伊藤忠兵衛という1つの起点

系譜が公式沿革で明確に確認できる代表が、伊藤忠商事と丸紅です。伊藤忠商事の公式沿革によれば、初代伊藤忠兵衛は1842年に現在の滋賀県豊郷町で生まれ、近江商人の家に育ちました。1858年、​15歳で大阪経由、泉州、紀州へ初めて麻布の持ち下りをした年が創業とされています。1872年には大阪に呉服太物商「紅忠」を開き、開店と同時に店員の権限と義務を明らかにした「店法」を定めました。1893年に開いた綿糸卸商の伊藤糸店が同社の根幹となり、1918年に伊藤忠商事株式会社が創立されます。戦時期には丸紅商店などとの合併で三興、大建産業となり、1949年に伊藤忠商事株式会社として再び設立されました。丸紅も同じ初代伊藤忠兵衛の商いを起点とし、伊藤忠商店の系譜から丸紅商店が生まれ、大建産業を経て分かれた兄弟のような関係にあります。近江八幡市の公式サイトも、伊藤忠兵衛を「現・伊藤忠商事・丸紅」につながる湖東商人として紹介しています。

名前に近江が残る企業、残らない企業

近江商人ゆかりの企業はほかにもあります。近江八幡市の公式サイトは、寝具の西川、東京日本橋で営業を続ける近三商事やメルクロスなど、八幡商人の商家が形を変えて続いている例を紹介しています。ただし、企業の系譜は合併や分離を繰り返すため、「近江商人の会社」と一口に言っても、創業者の出身が近江である場合、屋号や地名に由来があるだけの場合など、関わり方はさまざまです。このコラムで当サイトの企業として取り上げたのは、公式沿革で伊藤忠兵衛への系譜が確認できた伊藤忠商事と丸紅の​2社に限りました。関わりが伝えられていても、公式資料で系譜を確認できなかった企業については、断定を避けて取り上げていません。

「三方よし」は、江戸時代の言葉でありながら、今も企業の理念や持続可能性を語る場面で引き合いに出されます。売り手の利益だけでも、買い手の満足だけでもなく、社会全体にとって正当かどうかを問う考え方は、企業が利益と社会的な役割の両立を求められる現代の議論と重なる部分があるためです。伊藤忠商事が2020年にグループ企業理念そのものを「三方よし」に改訂したことは、創業の地の考え方を、現代の言葉として改めて掲げ直した例といえます。

伊藤忠兵衛が「紅忠」の開店と同時に定めた「店法」にも、近江商人の姿勢が表れています。店員の権限と義務をあらかじめ明らかにしておくことは、遠く離れた店を任せるうえで、判断の基準を共有する工夫でした。理念を言葉にして終わらせず、店の規則として明文化し、日々の商いに落とし込む。行商で各地を回り、本店と出先をつないで商いを続けてきた近江商人にとって、理念と仕組みは一体のものだったといえます。

近江商人の物語は、懐かしい商人道徳の話であると同時に、信用をどう作るかという経営の話でもあります。本店に情報と教育を集め、現場では正当な利益と地域への貢献を守る。その仕組みと理念が、行商の天秤棒から総合商社へと姿を変えながら受け継がれてきました。企業の沿革を読むときは、創業者の出身地だけでなく、理念が現在の言葉として残っているかにも目を向けてみてください。

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